五風荘の歴史

五風荘について

五風荘は、旧寺田財閥当主の寺田利吉が、昭和4年から10年の歳月をかけ、粋を尽くして造営されました。当初は「南木荘」と呼ばれていましたが、利吉翁の諡号(おくりな)が「五風院」であることから、「五風荘」となりました。

「五風」は、中国の後漢時代に王充(おうじゅう)によって書かれた「論衡(ろんこう)」の是応(ぜおう)に記述があったとされています。

「五風十雨」は、「五日にして一たび風ふき、十日にして一たび雨ふる」という表現を略したものです。五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降ることは、農業に最適で豊作が見込めるという意味になっていますよ。

木津宗詮 最後の茶室

旧岸和田城内新御茶屋跡、四季折々の変化が楽しめる敷地面積2,400坪の広壮な回遊式日本庭園を持つ五風荘には、池泉を挟み、母屋と向かい合うように建てられた日本建築の数奇を凝らした3つの茶室があります。桂離宮における御殿と松琴亭の位置関係を思わせるとも称されるその茶室は、大宮御所の御影殿に貞明皇后のための茶室など、茶室設計の才に優れ、数多くの名茶室を設計した、「木津宗詮」最後の作品として知られています。

木津宗詮 略歴

文久2年(1862年)大阪に生まれる
昭和3年(1928年)東京青山の大宮御所「秋泉」御茶室設計の御下命を蒙る
昭和4年(1929年)大宮御所「秋泉」御茶室竣工
昭和6年(1931年)道明寺書院ならびに茶室、興福寺茶室「静観寮」を設計・竣工
昭和7年(1932年)四天王寺本坊庭園設計・作庭
昭和8年(1933年)朝香宮邸庭園ならびに茶室の監督
昭和10年(1935年)寺田利吉邸「五風荘」設計に携わる